兵庫県三木市の情報をどんどん発信!三木市役所職員JJによるブログ。


by oniwabann
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カテゴリ:人権( 42 )

 障がいのある人の自立昨年初めて障がいのある人を支援している社会福祉法人を訪問する機会がありました。
 仕事を依頼する為、取引先から紹介を受けた時、『本当に大丈夫なのか?』という不安が頭をよぎりましたが、会社としてコストを抑える事ができ、社会貢献にもなるのなら、依頼してみようと安易に考えておりました。
 実際に訪問して施設長と担当者の方と作業内容について打ち合わせをしている時も私は間違いのない作業をしてくれるのか、コストがどの程度安くなるのかという事しか考えておりませんでした。
 すると見透かされたように担当者の方から「社会福祉施設だからといって働く事さえ出来れば単価はいくらでもいいという事ではないのです」
 「以前は働く事で社会に参加する事が目的だという考えもありましたが、私達はお金を少しでも多く彼らに払ってあげて、自分達が働いたお金で自立させてあげたいのです」と言われました。
 障がいのある人に対して、いかに自分が傲慢で、彼らの生活と立場に立って考えていないかという事を痛感させられました。
 障がいのある人のレベルに合わせてクラス分けをしている説明を受け、施設の中を見学させていただく事となりました。
 最初に見学させていただいたクラスでは複雑な機械の組み立てや、健常者でも危険だと思ってしまうような電動工具を使って「バリバリ」と音を立てて機械の解体作業している姿を見て、こんな作業まで出来る事に驚きました。
また違うクラスでは、マラソン大会で使うゼッケンから機械を使ってICタグの取り外しを真剣な表情で作業されている姿に、私が抱いていた不安はなくなりました。
 見学が終わると担当者の方が「今日は、この作業だけしかしておりませんが、彼らは色んな仕事ができますよ。健常者より、集中力が高いのです。仕事を始めると飽きずに黙々と作業をしますよ。忙しい時だけではなく定期的に新しい仕事をいただければ助かります。どんどん新しい仕事にチャレンジさせてあげたいのです」
 「作業については私が全て確認しますから安心してください」と言われた言葉に、努力とプロ意識を感じました。
 企業にとって仕事を依頼する限りは社会福祉施設だからといって作業の間違いを許されるわけではありません。一度信用を無くすと仕事の依頼が無くなる厳しさを理解されている事に、頭が下がる思いでした。
 今回の訪問で、大人になれば誰もが仕事をして、自分なりの生活を築いていく、ごく自然の事のようですが、障がいのある人達にとって地域生活をして行く上で、常に困難で厳しさが待ち受けている現実、それに対して彼らを厳しい社会から守るのではなく、自分の人生を切り開く「力を養う場所」でありたいという施設の方に触れる事ができ、自分の今までの考えを改める事ができました。
 障がいのある人に対して「出来るはずがない」と決めつけて厳しい社会に触れないように守るのではなく、小さな事でも良いから自分達ができる支援をしていく事で、ごく自然に働ける環境を作り、自立出来る社会にしていかなければならないと思いました。
   
志染中学校PTA 藤本欣也
   
    
    
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by oniwabann | 2017-12-15 09:31 | 人権 | Comments(0)
「死」を見つめ「生」と向き合う
 「復元納棺師」を知っていますか。それは、事情があって、生前のおもかげを失ってしまった故人をその人らしいいい顔に戻す納棺師のことです。私は、この「復元納棺師」として活躍している一人の女性をある一冊の本で知り、大きな衝撃を受けました。
 3月11日。あの日、東北は大きな地震と津波に襲われました。テレビで津波が次々と街を飲み込んでいくのを見て、言葉を失ったことは今でも覚えています。死者・行方不明者は、18, 446人でそのうち津波で亡くなった人は90%近くいました。小学校や中学校の体育館は、遺体の安置所として使われるようになりました。復元納棺師の笹原留似子さんは、そのとき岩手県で被災しました。笹原さんは、自分に何かできることはないかと遺体安置所へ向かいました。そこで笹原さんの行動を左右する出会いがありました。それは、死後変化が始まっている三歳くらいの女の子のなきがらでした。笹原さんはこの女の子をこの子らしいいい顔に戻してあげたいと思いましたが、それはできませんでした。法律で、身元不明者の遺体に触れることは禁止されていたからです。小さな小さな女の子を目の前にして、道具も技術もそろっているのに何もしてあげられないと思うと、笹原さんはどんなにつらかったのでしょうか。私がもし、そのとき笹原さんとそこにいたら、何もできない自分の無力さに耐えられないでしょう。「同じ後悔はしたくない、自分にできることを精一杯やろう」そう強く決心した笹原さんは、被災地で復元ボランティアを始めました。
 復元ボランティアで笹原さんは、1日に10~20人の復元を行うこともあったそうです。1日に10~20人の人の「死」と向き合うというのは、本当につらいと思います。きっと私なら、この苦しい現実から逃げ出してしまうにちがいありません。笹原さんはなぜ、復元ボランティアを続けられたのでしょうか。彼女はこう言っています。
 「死は本当に悲しいものです。私にできることはただ悲しみに寄り添わせていただくこと。残された人がその死を受け入れるため、少しでもお役に立ちたいと思ってやってきたのが復元でした。故人がどんな状態にあったとしても、生前と同じ表情、できるだけ微笑みをたたえたお顔にする。復元させていただいたのちご家族に対面していただくと、ようやく事実と向き合い、死を受け入れられることが多いのです」
 震災で多くの尊い命が失われました。大切な家族の「死」を受け入れにくい人が多くいました。そんなとき、笹原さんの復元によってやっと「死」を受け入れられた人も少なくなかったと思います。誰よりも強い想いで「死」と向き合い、遺族に寄り添う笹原さんは被災地で何を感じたのでしょうか。
 笹原さんから学んだことは、「死」を見つめることは「生」と向き合うことでもあるということです。大切な家族や友人を失うことは、つらくて、切ないことです。私はこれまでに一度だけ大切な人の「死」を経験しました。中学校に入学する少し前、大好きだった祖母がなくなりました。祖母の死は本当に悲しくて、これから自分はどういう生き方をしたらいいのか分からなくなりました。祖母のことを思い出しては悲しみの気持ちでいっぱいだったある日、祖父から電話がありました。祖母からの家族一人ひとりに向けた手紙が見つかったのです。そこには、「楽しい人生をありがとう。わたしがいなくなってもあんまり悲しまないで、元気に生きていってね」と書いてありました。亡くなった人とは、会いたい、話したいとどんなに強く思ってもそれはできません。私はこの祖母の手紙を読んで祖母に見てもらいたかった分の人生も一生懸命生きようと思えました。笹原さんの復元は祖母の手紙と同じように残された人が「死」を受け入れるきっかけになった一つだと思います。祖母はきっと、私のことをずっと見守ってくれていると私は信じています。そして私の心の中では、幼い時に一緒に遊んだ思い出と共に祖母は生きています。
 大切な人の「死」を受け入れることは簡単ではありませんが、残された人はその人の分も精一杯生きていかなければならないと思います。だからこそ、今生きていられることを当たり前だと思わず、命を大切にしたいです。
    
別所中学校 3年 森本怜奈
   
   
    
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by oniwabann | 2017-11-24 10:32 | 人権 | Comments(0)

 ぼくのお父さんは、右足の太もも半分から下がありません。バイクの事故で、ぼくが産まれる前からありませんでした。外では、義足をつけて、家の中ではそれをぬいで生活しています。
 お父さんは、つりが大好きです。陸からつってる時はそう思わないけど、船で行く時がぼくは心配です。なぜなら、バランスをくずして船から落ちるかもしれないからです。ささえる力が左足だけなので、「本当に気をつけてよ」と思って、いつも送り出しています。
 ぼくと弟と二人で、お父さんに
「遊ぼう」
と言った時は、義足をはいていない時もあるけど笑って遊んでくれます。ドッジボールでは、最初はぼくらに合わせて投げてくれますが、後から本気で投げてくるので楽しいです。転がっていったボールを弟と競走しながら拾いに行って、またお父さんにわたすのは楽しいです。それに、夏の暑い時はバイクの後ろにぼくらを乗せてトンネルまですずみに連れて行ってくれます。バイクでこわい目にあったのに、ちゃんと安全運転で行ってくれます。バイクだけではなくて車にも乗れて、熊本のおばあちゃんの家やさい玉のいとこの家にも連れて行ってくれます。
 ぼくは、お父さんといると笑顔がふえています。お父さんが、ぼくらのために元気が出ることをしてくれるし、お父さん自身も笑顔でぼくらがすることをおうえんしてくれるからです。
 一方で、学校では、そう合的な学習の時間に全く目が見えない浦野さんという方と交流する時間がありました。サングラスをかけた浦野さんは、明るくておもしろい方でした。でも、死を考えたこともあったそうです。そんな浦野さんの心をささえたのが、大好きなギターや、目の代わりをしている盲導犬のテラくんやおくさんです。ぼくと同じくらいの小学生が、
「何か手伝いましょうか」
と声をかけたこともとってもうれしかったと話しておられました。
 そんな浦野さんのお話を、ぼくはお父さんのすがたと重ねて聞いていました。世の中には、お父さんのように足が不便だったり、浦野さんのように目が不便だったりする方がたくさんおられます。昨年のパラリンピックの選手もそうでした。でも、みんな自分にできる事をそれぞれ見つけて、一生けんめいに生きておられます。お父さんだってできないことに目を向けるのではなくて、自分ができることを自分のために、家族のために、いっぱいやっているから、かっこいいと思います。
 ぼくもこれから、もっともっとたくさんの人と出会って大人になっていきます。ぼく自身も、自分ができることを一生けんめいして、周りの人にも気を配れるようになっていきたいです。だって、大好きなぼくのお父さんの子どもだから。
    

平田小学校 5年 植野健太
   
   
    
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by oniwabann | 2017-10-30 13:42 | 人権 | Comments(0)

 ぼくのクラスには、Aくんという友だちがいます。その子は、話すことがむずかしいけど、表じょうで、うれしいんだなとか、悲しいんだなとか、ぼくにはつたわってきます。
 そのAくんから教えてもらったことがあります。それは、
「あきらめないでつづければ、がんばっていたことがぜったいできるようになる」
ということです。
 きょ年の音楽会の何日か前の日のことです。
 ぼくは、音楽会でえんそうする「ルパン3世のテーマ」で、どうしてもふけなくてむずかしい所がありました。だから、ぼくは他の部分を練習しようかと思ってしまいました。すると、いっしょに練習していたAくんは、上手にけんばんハーモニカをふいていたのです。一年生の時はできなかった「ふく」ということがとても上手になっていました。
 それを見たぼくは、
「すごいな。たくさん練習して、こんなに上手にできるようになったのかな。よし、ぼくも負けられない。がんばろう」
 そう思って、ぼくは、その部分を一生けんめい練習しました。すると、二日後には、ぼくも上手にふけるようになりました。
 音楽会本番になりました。ぼくは、練習のせいかをはっきすることができました。
「Aくんもがんばってるかな」
と思って、チラッとそちらを見てみました。Aくんは、とてもがんばって、すごく上手にふいていました。
「やっぱりすごいな。何回くらい練習したのかな。ぼくたちよりもたくさん練習をしたのかな」
 そう思うと、合そうがもっと楽しくなりました。Aくんは、べん強でりょう理をすることが多いので、
「家庭科のじゅ業が始まったら、ぼくよりすごく上手になっているかも知れない」
と、考えることもあります。
 音楽の勉強でも、リコーダーで、「ドレミファソラシド」を上手にふいていました。先生も、みんなも、ぼくも、みんなそろって、
「すごいね、がんばったんだね」
と、はく手しました。Aくんもうれしそうでした。ぼくは、Aくんのように、「ドレミファソラシド」がふけないので、
「あきらめなければ、がんばっていたことがいつかぜったいできるようになる」
と、その時も、Aくんに教えてもらいました。Aくんががんばってるから、ぼくもできることがふえたよ。
 これからも、いっしょにがんばろうね。
    

平田小学校 4年 樋口和久
    
     
      
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by oniwabann | 2017-09-22 09:55 | 人権 | Comments(0)
d0107394_09185484.png 「ここには人権というものがないのか。」東日本大震災から1カ月後、ある避難所を訪れた県職員の言葉です。多くの人々が共同生活をする中、基本的なプライバシーはなく、トイレへ行くにも不安を感じるような日々がそこでは続いていました。

大規模な災害時、多くの人々は命が助かったのだからと様々な困難に対して、我慢をしなければという雰囲気に包まれます。それは他人を思いやる日本人の良いところでもあるでしょう。しかし、様々な事情を抱え、我慢に耐えられる状況の人とそうでない人たちがいます。残念ながら現在の避難所は健康で、その過酷な状況に耐えうる人のみが過ごせる場所となっているように思えてなりません。しかし、人が一人一人違うように、災害時どのようなケアが必要かは一人一人違います。 

例えば、災害時に「男」と「女」では必要とすることが違い、それぞれの視点も異なります。避難所のリーダーの多くが男性であるため、男性目線だけで避難所が運営をされていることは一般的に多くあります。しかし、災害時はトイレや洗濯、物資の配給、性犯罪被害の抑止のための対策など様々なことで男性と女性両方の視点を交えて対処していかねばならないことがあります。それを「女なので、食事と掃除」というふうに対応していると最初は頑張れていた女性たちにも不満が募っていったという事例が、東日本大震災後の避難所運営で多く聞かれました。2016年に発生した熊本地震ではプライバシーの問題など繰り返された課題はありますが、なかには男性女性ともに炊き出しに従事したり、乳幼児世帯の専用スペースを設けたりなど好事例も聞こえてきます。

すべての都道府県、市町村にはそれぞれの地域の特性にあわせた地域防災計画が作成されています。東日本大震災以降多くの自治体で地域防災計画が改訂され、男女共同参画の視点が以前より入るようになりました。三木市がその中でも全国的に評価される女性の視点を取り入れた地域防災計画とその関連計画を作成していることはご存知でしょうか。また女性に限定した公募委員を防災会議委員に任命するという取り組みをしているのは三木市のみです。しかし、どんなに素晴らしい計画があったとしても、これを活用できなければ意味がありません。平常時にやっていないことは災害時には決してできないのです。 

それぞれの地域で、自主防災組織の活動を知ったり、参加をしてみたりする中で、活動に男女共同参画の視点は入っているだろうかと皆で話し合ってみることが大切です。そして、可能であれば自分たちの地域のことは自分たちで守るという想いで、災害時の計画や避難所運営について話し合ってみてください。それらは平常時のまちづくりを考える上で、決して無駄にはなりません。また上述したように、三木市は女性の公募委員が防災会議に入る機会も作られています。誰かがやってくれるのを待っていては、何も変わらないかもしれません。災害はいつどこで起こるかはわかりません。せっかく助かった命を、避難所で危険にさらされないように、そして、すべての人の人権が守られる支援が受けられるように備えていきたいですね。

     

くらし研究所ままどころ代表  斉藤容子
    
    
   
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by oniwabann | 2017-07-27 09:19 | 人権 | Comments(0)

東アジアでの私の生き方

私は中国で生まれ、10歳ごろまで中国で育ち、今年の春まで日本で生活してきました。大学で1年間の学生生活を送った後、東アジアの言語文化を専攻し、現在は韓国に留学しています。留学先の大学では日中韓の学生が授業に参加しています。お互いの出身国がわからない状態で、それぞれがどこの出身かを判断するとき、何語を話しているかが大きな手掛かりとなります。この判断の仕方はごく一般的だと思われますが、同時に日本から来た学生は日本語で話すという思い込みを併せ持ち、私が中国語で話すとしばしば人々を混乱させることがあります。

日中韓3カ国の人達の顔立ちはよく似ていて、見た目だけでは判断し難いことがあります。しかし、性格や行動には国柄がよく表れます。中国人と韓国人は性格が似ていて、ストレートな話し方をよくするように思われます。一方、日本人は自己主張をあまりせず、どちらかと言うと控えめな人が多いと思われます。私のルームメイトは韓国人で、時々お節介だと思うほど親切です。日本人は他人のプライバシーに必要以上に踏み込まないことが思いやりであり美徳とされているため、最初は正直困惑しました。

その一方で、中国と韓国には違いもたくさんあります。たとえば、韓国では特に年功序列が重んじられます。初対面では必ず年齢を聞くそうで、年上の人には大変気を遣います。儒教の思想が、起源の中国よりも強く定着していることに驚きました。

「中国と日本どちらが良い?」とよく聞かれることがあります。互いの文化や社会的観念に違いがあり、ひとくくりに善し悪しを決めることはできません。しかし、この質問は両国に住んだことがある私に今後も投げかけられることが多いでしょう。大学では東アジアの歴史と文化をたくさん勉強してきました。しかし、いくら理解したつもりでも実際に経験してみないとわからないことがたくさんあります。グローバル化が進んだ今日、愛国心だけが正義ではなくなりました。国境の壁が低くなるとは思っていましたが、ナショナリズム(国家主義、民族主義などと呼ばれ自国民を中心とした考え方)は逆に強まりつつあります。私たちは東アジアの一員であり、一番近い存在であるはずなのに、かえって遠い存在になってしまうように感じられます。

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もうすぐ私は20歳を迎えます。子どもから大人へ、そして、日本と中国とでちょうど人生の半分ずつを過ごした節目の年です。中国人として生きるのか日本人として生きるのかではなく、自分がどんな人間になりたいかを考えることが多くなりました。東アジアの架橋となるような大きな人物になりたいわけではありませんが、この経験を糧にアジア圏内はもちろん、アジア圏外の違う文化を持った人々も広く受け入れることのできる人間になりたいです。   

市川尭尭
   
   
    

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by oniwabann | 2017-06-20 09:14 | 人権 | Comments(0)

男女共同参画週間

男女が互いに人権を尊重しつつ喜びも責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる社会の形成をめざして、毎年623日~29日までの1週間を「男女共同参画週間」としています。

男女共同参画センターでは、この週間にあわせて記念講演会を開催します。その他、男女共同参画に関する図書の貸出や情報資料の提供を随時行っています。気軽にお立ち寄りください。

   

d0107394_09060684.png●男女共同参画週間記念講演会
男女共同参画時代の女と男 ~テレビCMを見ながら考えてみませんか~

【日時】
平成29624日㈯ 

午後1時~3

【場所】

教育センター 大研修室

【費用】

無料

【講師】

小川真知子さん

【託児】

1歳以上~就学前(申込期限69日㈮まで)

        

d0107394_09055478.png●出前チャレンジ相談

再就職、起業、働き方の見直し、地域活動やボランティアを始めたいなどの相談

【日時】

平成29718日㈫ 

午前9時~950分、午前10時~1050分、午前11時~1150

【場所】

男女共同参画センター

【費用】

無料

【対象】

女性 

【相談員】

飯鉢仁弥さん

【託児】

1歳以上~就学前(申込期限73日㈪まで)

【申込方法】

電話で申し込んでください

【定員】

先着3

    

【問い合わせ・申込】

三木市男女共同参画センター 

0794-89-2331
   
   
   

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by oniwabann | 2017-06-06 09:08 | 人権 | Comments(0)

昨今、いじめによる子どもの自死が頻繁に起こっています。昨年8月には青森県で中1男子、中2女子。現在調査中ですが、兵庫県でも9月に加古川市、10月に神戸市、12月に宝塚市でいずれも中学生が亡くなっています。子どもをここまで追い込むいじめとは一体どんなに過酷で悲惨なものなのでしょうか。

最近は、一見仲良しに見えるグループ内でのいじめが多いのです。社会との関係が希薄になっている現代の子どもは、グループから離れるのが怖くて、いじめられてもグループ内にいたいと考えるのです。大人が聞いても「いじめられている」とはなかなか言いません。加害者側は、一種のゲーム感覚でいじめますから、どんどんエスカレートして、より陰湿ないじめを仕掛けていきます。被害者は、最後には自らの命を絶つところまで催し, 人権追い込まれていきます。

スマホ(LINEなど)を使ったいじめも大変見えにくいものです。家に帰っても四六時中メールで、仲間外しや誹謗中傷を受けたり、恥ずかしい姿を動画などで撮られてアップロードされたりするという事件も発生しています。被害者は、全く逃げ場がありません。たとえ夏休みなどでも容赦はありません。青森の事件は、どちらも始業式前後に起こっています。

加害者は、自分達が悪いことをしているのが分かっているので、先生や大人の前ではいじめをしません。被害者もいじめられているのは恥ずかしいことだと思ったり、報復を恐れたり、親に心配をかけたくないという感情が働き、「いじめられていない。遊んでいるだけだ」と言うことが多いのです。周りの子どもたちは、いじめを見ていますが「関わりたくない」、「止めに入ると今度は自分がいじめのターゲットになる」と思い、なかなか止められません。いじめが酷いものであるほど、止めに入れないのです。実際、いじめのターゲットが次々と変わるのも最近のいじめの特徴です。優しくて正義感の強い子も、けんかの強い子も、加害の中心人物だった子も被害者になることもあります。

日本では、いじめを見て見ぬ振りをする子ども(傍観者)の出現率が高いのが特徴です。中学3年生で比較すると、イギリスでは約

40%、日本では60%の出現率。反対にいじめを止めようとする仲裁者は、イギリスでは46%、日本では22%の出現率です(「いじめとは何か」森田洋司著より)。日本でのこの傍観者の比率の高さが、いじめを助長する一因だと考えられています。その場では怖くて止められなくても、大人に知らせたり、後で被害者に優しく声を掛けたりなどをしてくれると、いじめによる自死はかなり防げると思います。

最後に地域の方にお願いがあります。学校を離れた場所、登下校中や公園、コンビニや大型量販店などでは、注視していれば、いじめを早期発見することができます。子どもたちの不審な様子を見かけられたら、些細なことでも三木市子どもいじめ防止センター(☎0794-82-8110)に連絡してください。いじめは、未然防止、早期発見がとても大切です。「地域の目」が子どもをいじめから守ります。

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三木市子どもいじめ防止センター 相談員 中川典也
    
    
    

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by oniwabann | 2017-05-30 08:58 | 人権 | Comments(0)

〝坂田かおり〞を生きる

「去り行く一切は比喩に過ぎない」ドイツの歴史学者シュペングラーの言葉だそうだ。遠い昔、ある人から教えてもらった。今でも妙に私の脳裏に響いている。

今年50歳、振り返るには少し早いが、私の半生はどんな比喩で表現できるのだろう。

被差別部落に生まれ育ち、当然のように解放運動にまい進した10代。結婚し、子育てに明け暮れた20代。そこで体験した社会の偏見と差別の現実、孤独の過酷さ。挫折は「つながり」の大切さを再認識させた。そして、再び解放運動へ。

凸凹、ジェットコースター…そんな半生でつかんだ私の真実を少しお話したい。

おいたち

1967323日、岡田家の5人兄弟の4番目に生まれる。生後100日目で叔母の家(坂田)に養女としてもらわれた。

まだ保育園年長のころ、幼なじみのYちゃんから「かおりちゃんだってもらい子だがん」と突然言われ…心の中はなんとも言えないさみしさだけが残った…。

Yちゃんは親子遠足から帰った後にお母さんが家を出て行き、悲しみを私に投げつけることで寂しさを紛らわそうとしたのかもしれない。幼いころの私の心は、いつも複雑だった…。裕福ではないけど、兄も姉も仲良しの弟もいる岡田の家。自営業で父も母も遅くまで働いていたため夜は一人ぼっちの坂田家…。

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隣保館での学習会に行くことが楽しかった。学習会では、みんなが集まって勉強したり解放学習の中で人を大切にする心の勉強をしたりする。一人じゃない、みんなが集まる安心できる居場所だった。

5年生の時に幼なじみから自分の生まれ育ったこのムラが同和地区であることを聞かされた。ショックだった…。なぜ、大好きなこのムラが差別を受けてきたのか…。なぜ、今でも差別が残っているのか!?不合理な差別への怒りと共に社会的立場を自覚することで、部落差別について学び直しと解放への思いを新たにした解放学習会。

立場宣言

「部落差別をなくしたい! あらゆる差別をなくしたい! 部落に生まれたことを誇りに思う!」隠さず生きる、思いを伝える、差別を共になくす仲間になって欲しい! 差別をしない生き方をする!!

差別をなくしたい! 願いは、友だちのシンドイ思いも含め本音で語り合える仲間とつながる時間(学習)でもあった。初めての高校生集会、全国各地にこんなに多くのつながる仲間がいるんだ!と感動した。

20代〜現在

地区外の男性と結婚。出産、子育て、離婚。部落差別って、結婚差別・就職差別ばかりじゃなかった。自分の住んでいるここで、すぐ横で、〝いまここ〞に差別があるんだ。地域、学校、保育園、生活しているこの日常の中で「ここには同和地区が無いから同和地区の人が住んで無いから関係ないよね。」「同和地区の人と結婚した人はみんな不幸になっている。」言えないこと、語り合える仲間がここにいないこと、孤独の中での子育て…。

「差別をしない子に育てたい!!」わが子への願いは、出逢ったすべての子どもたちへ。

差別をしない→誰も排除しない! 一人一人に出逢い、その人を知る→認める! 認め合う!

シングルになり離婚を通して根強い女性差別「あなたが忙しい(仕事)からね。離婚したんでしょ?」に嫌気がさした。私はわたしらしく幸せに生きると決めた。

豊かな仲間との出逢いは、多様な生き方を知る。差別をしない生き方は自分を豊かにする。自分の〝しあわせ〞は自分で決める。私はわたしらしく生きる。

50歳は論語では知命とされる。知命…五十にして天命を知る。私の天命は「〝坂田かおり〞を生きる」ことだ。

激しく、優しく、たおやかに…何よりも仲間とのつながりに支えられて。

    

部落解放同盟鳥取県連合会西部地区協議会女性部長 坂田かおり
    
    
    

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by oniwabann | 2017-03-29 09:41 | 人権 | Comments(0)
 私は韓国釜山生まれ釜山育ちの韓国人です。大学3年生の時、交換留学がきっかけで初めて日本に来ました。
 1年間の留学生活はとても楽しく、日本での生活に苦は全くありませんでした。留学が終わり、韓国に帰国して数年間日本語を教える仕事をして再び日本に来ることになりました。今度は留学生ではなく社会人としてです。するといろんな困難に直面してしまいました。それは学校という大きな守りがある留学生時代と違って一個人として、ただの外国人として生じる困難でした。
 日本の制度、習慣、社会的観念、偏見、何より言語が大きな壁でした。働くとなるとこの全てのハードルがスタート時点にセットされ、それらを乗り越えないままではスタートすら出来ないことを痛感しました。
 多くの方は「外国人」という言葉を聞くと、まず西洋人を思い浮かべるでしょう。それから言語は英語が思い浮かぶでしょう。日本人と外見が変わらない私が「韓国人」をカミングアウトすると、なぜか「No」と答えが返ってくることがよくあります。韓国人にも英語は外国語のため、苦手な人はたくさんいます。日本と同じなのです。
 私は来日して12年目ですが、日本語がどんなに話せても自分の考え、感情を母国語で伝えるよりは、はるかに下手になります。思いの60~70%ぐらいでしょうか。
 言語にはその国の持つ性格がそのまま溶け込んでいます。日本語は謙譲語、敬語、受身、使役など、他人を思う言葉が主になっています。習慣的に相手を立ててへりくだる表現などは、特に日本語特有な話し方だと思います。その特有な話し方が日本語の隅々にあるため、日本語を話すときは日本人らしさ(日本人の真似)が求められます。
 私の場合、母国語の韓国語を話す時は、やはり韓国語が持つ特性、ストレートな話し方になります。主に「私」が中心になります。そのため最初の頃は日本語が話せても、どこか聞きづらい、自己主張の強いキツイ人になってしまい、トラブルもありました。その理由を理解するのに、かなりの時間がかかりました。このハードルは12年住んでいても、未だに解決できない問題です。知らずに他人を傷つけたり(韓国語のストレートな表現)、傷ついたり(思いが伝わらない、不慣れさ)しています。
 外国人同士、繋がっていると思われがちですが、実は外国人同士も繋がっていないのが現状です。三木市には国際交流協会がありますが、その存在を知らない外国人の方が多いのではないでしょうか。そして外国人同士もお互いの国の言葉は分からないため、共通語は日本語や英語になります。どちらも苦手な人が多いので情報交換、意見交換、ただの世間話もできないのです。日本の制度、ルール、社会的観念が分らないため、経験する失敗、戸惑いも数え切れないほどです。 自分たちの国の社会的観念、習慣などが身についているため、日本社会にふさわしくない場合もあると思います。すると段々日本社会に踏み出そうとする勇気がなくなり、孤立するのでしょう。 しかし、日本で生きると決めた私を含め、外国人はそのような困難を抱えたり、乗り越えたりしながら気を張って生きているのです。「外国人」ではなく、「三木市民」「ご近所さん」として生きていきたいです。

曺潤貞(ヂョユンジョン)



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by oniwabann | 2017-02-21 09:59 | 人権 | Comments(0)