言葉は何のためにあるのだろう
三木市人権・同和教育協議会 人権教育・啓発専門員 大東 太郎
言葉について語るとき、ある先生の話を思い出します。
先生の教え子の一人にK子さんという勉強が苦手な子がいました。K子さんは、「からだ」を「かだら」といい、「うれしい」を「うでしい」といいました。「らりるれろ」と「だぢづでど」がすっぽり入れ替わるのです。字を覚えるのも遅く、九九も間違えてばかりいました。
K子さんが5年生になるとき、先生は結婚のため退職しました。しかし、先生は、その2カ月後に病気になり療養所に入院しました。療養所生活は13年続きました。その何年間か先生は教え子たちに慰められ、励まされました。その間、子どもたちは結婚したり、ほかの土地にいったりして、見舞ってくれる教え子たちの数も少なくなりました。
そんな中で、終始変わらず見舞いの手紙をくれたのは、あのK子さんでした。K子さんは、ある商店に住み込んでいたので、休みをもらえず、見舞いに来ることは出来ませんでした。手紙はよく書きました。相変わらず「おからだをらいじにしてくらさい」というようなたどたどしい手紙でしたが、それでも長い間には、いつの間にか漢字も少しまじえて書くようになりました。とはいっても、小学生のような手紙ではありました。
ある時、先生のお母さんが病気でで倒れたのを知ると、彼女はひま(休み)をもらい、2日ほど手伝いにきました。そして、その後もたどたどしい手紙は先生の病気が治るまで続きました。
先生は彼女の手紙を読みながらいつも心が打たれました。それで教えられたのです。「字は何のためにあるのか」と。K子さんは教え子の中で一番成績が悪かった。字を一番覚えていなかった。しかし、どの教え子よりも彼女は、先生に見舞い状を届けた。自分の知っている限りの字をかき集めるようにして手紙を書いた。彼女は、字をたくさん知らなかった。だが、彼女は「人は何のために字を学ぶのか」ということを知っていたのだと思います。文字は拙いけれど、一字一字に先生生を気遣う気持ちがこめられ、先生にとって宝石の輝きに見えました。
私自身、K子さんのように、心を込めて気持ちを伝えてこれただろうかと問うと恥じることばかりです。けれども、教師として受け持った多くの子どもからたくさん学んだことは確かです。
簡単に一瞬に言葉が伝わる時代となりました。けれども、言葉や知識は、身を飾りひけらかし、人をさげすみ、からかうためのものではなく、互いの心を打ち、幸せを増すためにあるのではないでしょうか。