兵庫県三木市の情報をどんどん発信!三木市役所職員JJによるブログ。


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カテゴリ:人権( 50 )

人権の目

「声なき声を~富山型デイの根源~」
    

 私の働いている職場は富山型デイサービスと呼ばれています。富山型デイサービスを最初に作ったのは、日赤病院で長く看護師をしていた惣万佳代子さん。病院のベッドの上で「どうして畳の上で死ねんがけ?」と息を引き取っていくお年寄りの姿を見て、仲間とともに、平成5年に立ち上げたのが富山型デイサービスの元祖「このゆびとーまれ」です。これを機に、富山県内外に広がりました。そして、私も平成9年3月に自宅を開放し、富山型デイサービス「にぎやか」を立ち上げました。
 富山型は他のデイサービスとは大きく違う特徴があります。一般的にデイサービスというと、お年寄りが通うイメージが強いと思いますが、富山型は高齢者だけでなく、赤ちゃんからお年寄りまで、障がいの有無を問わず誰もが利用できます。これが当時はとても珍しく画期的な取組でした。なぜなら、それまでは身体が不自由な人は身体障がい者施設、心が不自由な人は精神障がい者施設、65歳以上であれば老人施設といったように、同じ人間なのに、同じ障がいや高齢というだけで一カ所に集められることが一般的に良いと思われていたからです。地域にはいろいろな人が居て当たり前です。いろいろな人が困ったときに身近にいつでも利用できる場所であり、障がいがある人も、ない人も、お年寄りも子どもも同じひとつ屋根の下で支え合って生活できる場所、それが富山型デイサービスの魅力です。
 「にぎやか」では今日もいろいろな人が一緒に一日を過ごします。産まれたばかりの赤ちゃんが泣いています。その子にミルクをあげているのは84歳の認知症のおばあちゃんです。「認知症の人に赤ちゃんを抱かせて大丈夫?」と心配するかと思いますが、お昼ご飯を食べた事、今日の季節、曜日がわからなくても、赤ちゃんを抱く手、赤ちゃんを見つめるまなざしはまぎれもなく母親です。人生において経験したものは忘れるどころか、年齢を重ねるごとに深まり、母親としての愛や思いやりは認知症になっても消えることはありません。おばあちゃんの温かな胸のなかで眠る赤ちゃん。時間に追われ忙しく動き回る私達スタッフではまねのできない、ゆっくりとした時の流れは神々しくもあり、その姿に私たちが癒されるほどです。
 また、身体障がいがあり、自分でご飯を食べられない人に3歳の子どもが一生懸命ご飯を食べさせようとスプーンを口に運んでいます。小さい頃からにぎやかで育った子どもたちは障がいのある人を特別視しません。できないことは手を貸し、できることは手を貸さない。そんな当たり前のことを自然にできるのは、小さい時から一緒にご飯を食べ、一緒に生活してきたからこその成せる業です。
 障がいが個性だとすれば、障がいがあるからと特別に優しく、丁寧に接する必要はなく、互いの個性を尊重し合った、対等な関係で接すれば良いだけなのです。でも、障がいがある人や認知症の人と接する経験が少ないと、人権を尊重しようとするあまり、「失礼があってはいけない」と話しかける言葉にも気を付けたり、「傷つけたりしてはいけない」とコミュニケーションもぎこちなくなるものです。
 人権を大切にするなら、障がいという言葉で先入観を持たず、ちゃんと目の前の人に自分をさらけ出し、向き合ってください。障がいという自分にない個性に興味をもってください。それが本来の人権を尊重することだと私は考えています。
     

NPO法人にぎやか理事長 阪井由佳子
   
   
   
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by oniwabann | 2018-07-30 10:08 | 人権 | Comments(0)

 日本国憲法に、個人の尊重と法の下の平等がうたわれ、男女平等の実現に向けた法整備や様々な取り組みがスタートして71年、男女雇用機会均等法施行から32年。そして、男女が互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を発揮することができる社会の実現をめざした「男女共同参画社会基本法」が施行されてから19年経ちました。
 今、男女がともに活躍できる社会になっているのでしょうか?
 国や県、三木市の意識調査の結果においては、「家庭」や「学校」「地域」で、徐々に男女の平等感が高まり広がってきているものの、「社会通念・慣習等」「職場」「政治」では男性が優遇されていると答える人が半数を超え、これらの分野においてはまだまだ男女共同参画が進んでいないことがわかります。
 女性活躍関連データを世界各国と比較しても、日本の女性は教育や健康水準の高さに比べ、政治や経済分野への参画は極端に低い水準で、女性の能力を活かしきれていないのが現状です。
 このような国際的な情勢や日本の少子超高齢社会の課題、社会経済情勢の急速な変化に伴い、ますます男女がともに活躍することが求められ、平成28年には女性活躍推進法が施行されて、職場における女性の活躍推進が加速しました。
 そのため、企業等では、育児や介護等の支援制度を整え、家庭生活と両立できる職場づくりを進めていますが、制度はできても活用しにくい職場の風土や男性管理職等の女性活躍に対する意識の低さなどが課題として残されています。
 私は、様々な企業への訪問を重ねる中で、かつてのように、あからさまに、「女だから」とか「女のくせに」といった性別による差別的な言動や「男は仕事、女は家庭を守るべきである」といった固定的な性別役割分担意識を押し付ける人は少なくなってきたように思います。しかし、性別にまつわる無意識の偏見や思い込みは依然として多く、女性の採用や継続就業、昇進昇格などに大きく影響を及ぼしているように思います。
 学校教育においても、中学校が平成5年、高等学校では平成6年
から家庭科が女子のみの必修から男女ともに選択必修になりました。この時期を境に若者の「女性の社会参画」や「男性の家庭参画」への意識が大きく広がったように、無意識の偏見や思い込みを無くしていくために、家庭や地域、学校、職場などあらゆる場で男女共同参画の視点に立った教育・研修の重要性を実感しています。様々な法律や施策が整ってもそれらを運用する人々や活用する人の意識が変わらない限り、何も実現することはできません。一人一人が自分の中にある無意識の偏見や思い込みに気づき、それを意識して、周りの人々に一方的に押し付けないよう、自分の意思を伝えることと相手の意見を傾聴することのバランスを保ちながら、男女がともにいきいきと活躍できるように行動していくことが大切ではないかと思います。
 このたび、市が策定した三木市男女共同参画プラン(第3次)を読んでいただき、市民の皆様と行政、関係機関・団体、企業の方々が連携し協働して、三木市の男女共同参画社会を実現し、男女がともに活躍できる社会を次世代に継承していけるように心から祈念しています。
   

三木市男女共同参画プラン策定委員会委員長 濱口清子
   
   
    
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by oniwabann | 2018-06-27 09:59 | 人権 | Comments(0)

 男女共同参画センターでは、この週間にあわせ記念講演会を開催します。
 今年は、男女共同参画社会の実現、女性の活躍推進においては欠かせない「ワーク・ライフ・バランス」がテーマとなっています。女性の方はもちろん、男性の方も多数ご参加ください。
     

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●記念講演会「あなたと私のこれからの人生~仕事(含家事・育児・介護)と生活のバランスを取るために~」
▼日時
平成30年6月23日(土) 
午後1時30分~3時
▼場所
三木市教育センター 4階大研修室
▼講師
高嶋紀子さん(ウィメンズメッセージズ編集長)
▼託児
1歳以上~就学前
(申込期限 平成30年6月6日(水)まで)
    

▼問い合わせ・申込
三木市男女共同参画センター(こらぼーよ)  
☎0794-89-2331
   
   
   
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by oniwabann | 2018-06-04 09:09 | 人権 | Comments(0)

 さっそくですが、次の数字は、何を表しているでしょう。
①平成28年は、年間約12万件で前年から約18%増えて過去最多
②平成28年は、年間約70%の学校で約23万8千件、これも過去最多
③平成29年は、年間567人で前年の約1.1倍
④平成28年は、約13万件
⑤平成28年は13.9%で約7人に1人
 これらは、すべて最近の子どもにかかる数字です。①は児童相談所が対応した児童虐待の件数、②はいじめのあった小学校の割合といじめの件数、③は自死した未成年者の人数、④は未成年者が被害者の犯罪の件数、⑤は相対的に貧困状態にある子どもの割合で、子どもの貧困率といわれているものです。これが最近の子どもの人権をめぐる状況の一つです。こうした生きにくさを抱え、苦しみの声さえ聞こえてきそうな子どもの人数は増えています。少子高齢社会といわれ、子どもの人数が減っているなかでのことですので、これらの子どもの割合はいっそう増えていることになります。
 このような状況を「最近の子どもは何を考えているのかわからん」「社会がおかしくなっている」と言って他人事にできるでしょうか。そうでないのは明らかです。虐待は、子どもの人権を踏みにじる行為で、子どもを身体的、心理的、性的に苦しめ、あるいは、養育を放棄しているのは大人です。
 いじめはどうでしょう。確かにいじめる側は指導されるべきです。ただ、子どもたちが抵抗感や罪悪感が乏しいまま、他人が嫌がることをしてしまうのはなぜでしょう。そこには、弱者と見なした人を蔑(けさず)むヘイトの気持ち、心身の痛みへの想像力の乏しさ、暴力で問題を解決する態度があります。これらはすべて、もともと大人にあったものを、子どもたちが知らず知らずのうちに染み込ませていったものといえるでしょう。子は親(=大人、社会)の鑑(かがみ)と言いますし。
 自死も同じです。自死の理由で最も多いのは「進路・学業等不振」です。子どもたちをこれらのことで悩ませているのは誰でしょう。学業成績、ひいては学歴に重きを置き、そのプレッシャーを掛けたのはやはり大人であり、社会の価値観です。何より子どものそのような状況を見逃し、援助できなかった責任は大きいといえるでしょう。また、貧困も犯罪被害も、子ども自身が好きでそのような状況にあるはずはなく、それを生み出した大人の責任以外の何物でもないでしょう。
 ただ、好きでそうしている大人はいないでしょう。知らず知らずのうちに染み込んでいる様々な価値観が呪縛になっていたり、いくらあがいてもにっちもさっちもいかない状況に置かれたりして、わかっていながらも、そうせざるを得なかった状況に追い込まれているのかもしれません。こうした状況を共感的に理解するまなざしを持てること、大人同士、大人に限らず人と人とが互いに責めることなく、支え支えられる関係、救い救われる関係を持てることが、子どもの人権を守ることにつながっていくのではないでしょうか。

    
関西国際大学人間科学部 坂野剛崇
   
   
    
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by oniwabann | 2018-05-31 09:10 | 人権 | Comments(0)

 自閉症の息子はこの春、特別支援学校高等部を卒業し、市内の作業所で社会人としての一歩を歩み始めました。
 赤ちゃんの頃は大人しい子で楽な子育てでしたが、一歳を過ぎた頃から全く目が離せなくなりました。いつまで待っても言葉は出ず、一歳半検診で専門機関の受診を勧められ療育がスタートしました。
 当時、三木から唯一通うことができた高砂の児童学園に二年間通った後、市内の幼稚園に進級しました。園長、担任、加配、ことばの先生、園一丸となって落ち着いて過ごせるよう様々な工夫を凝らしてくださいました。絵本部屋を空け、息子が休憩できる部屋を設置したり、絵が得意だった担任の先生が保護者向けのお便りを作成したり、当時通っていた療育機関への見学をしたりなどできることは何でも協力してくださいました。登園すると二階の遊戯室の窓からいつも女の子が「おはよう!」と声をかけてくれて、息子はあっという間にみんなのアイドルになりました。毎日びっしり書かれた先生からの連絡帳。それを読みながら少しずつ心が満たされていきました。
 そして卒園前の生活発表会。劇の中で小さくなって床に座る場面。次の動きに移るとき近くにいた女の子が息子に手を貸そうとしたのですが、別の男の子が「○○君は一人でできるから手伝わなくていいよ」と言ったのです。わずか五歳の子が言える言葉ではありません。一年間、先生方がどうやって接してくださったか、周りの園児たちにどういう姿を見せてこられたか。自分でできることが少なかった息子。けれども何でもかんでも先生が手伝ってくれたわけではなく、少しずつ自分でできることを増やすため、また子ども同士のコミュニケーション力を育てるため、時には距離を置いて見守ることも。そんな先生の支援の仕方をこの男の子は実によく見ていたのだと思います。そして、このクラスの子たちと一緒に小学校に入学しました。
 四年生の途中から息子は集団登校することになりました。それまでは私が個別に送っていましたが、六年生の姉が卒業する前にチャレンジしてはどうかという担任の先生の配慮で、最初は付き添いながら少しずつ離れていき、すぐに子どもたちだけで登校することができるようになりました。先生は毎朝校門の前で出迎えてくださいました。こうして一度も問題なく卒業するまで続けることができました。その頃はこの先ずっと毎日息子の送迎をするのかなぁと漠然と考えていましたので、束の間でも送迎から解放されたことはとてもありがたかったです。
 このように、たくさんの方々との出会いがあり、「私も誰かの役に立ちたい」と思うようになりました。息子が幼稚園に通っていたとき、一人のお母さんがボランティアを探していることを知り、まずは自分のできることをしよう、そう思いお手伝いを始めました。
 ある日、そのお母さんに幼稚園でミニコンサートを開いてほしいと頼まれ、ピアノを勉強していた私はチェロの伴奏を務めることになりました。そのコンサートがきっかけでできたのが「ムジカドルチェ」です。
 それ以来、約一〇年間「コンサート会場に行くことができない方の元にこそ生の音楽を届ける」をモットーに癒しのひと時を届けてきました。障がいのある子どもを育てながら行う活動だからこそより意味があると感じています。コンサートの中で時折息子の話をさせていただけることもあり、息子がいなければ今ほど障がいについて考えることもなかったでしょう。ムジカドルチェは息子からのプレゼントです。
 辛かった時もありました。そのことを忘れずにお世話になった方々に感謝の気持ちとともに、同じ境遇の方に寄り添いエールを送る気持ちでこれからも演奏していきたいと思います。
    

ムジカドルチェ  藤田紀子
   
   
   
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by oniwabann | 2018-04-27 09:08 | 人権 | Comments(0)

 特別支援学校を卒業した陸上好きの若者たちと陸上競技のチームをつくって8年になります。私はそのチームで代表兼コーチをしています。65歳になった今もメンバーと一緒に練習し、時には記録会などの短距離走で真剣に勝負したり、リレーメンバーに加わったりして楽しんでいます。10人ほどのメンバーは、一人ひとりが個性的で、種目や走力、めざす目標もそれぞれですが、仕事を終えてからの練習に熱心に参加しています。
 今から約2年前に「障害者差別解消法」という法律が施行されました。法律がめざすものは、障害の有無にかかわらず、みんながお互いにかけがえのない個人として尊重し合いながら、共に安心して生き生きと暮らしやすい社会をつくることです。そのために障害を理由に差別や排除をしないことや平等な権利の行使を阻む社会の「壁」を話し合いながら取り払うように求めています。
 しかし、現状はこの法律が求めるものからかけ離れているように感じます。以下の事例は、この法律が施行される少し前に私自身が体験したことです。
 一つ目は、チームのメンバーが家族などとともにA市にあるトレーニングルームで「マシンを利用したい」と申し出た際の施設職員の対応でした。事前講習を受けているのに、マシンを利用するには家族やコーチが付き添うことや、利用料とは別に、トレーニングルームに入るという理由で付き添い者も利用料が必要とのことでした。
聞いて唖然としました。付き添うように条件を出したのは施設側なのに、なぜ利用料が上乗せになるのか、さっぱり理解ができません。また、メンバー一人ひとりと直接対面しようともせず、「障がい者」としてひとくくりにして、「何もできない、何も分からない」人たちととらえているように感じました。その後、法律のことも交えながら抗議した結果、付き添い者は無料になり、利用者の料金もなぜか半額になりました。しかし、職員は手が回らないので、「何かあったら困るので、付き添ってほしい」という条件は変わりませんでした。
 二つ目は、B市で開催された陸上競技大会の事前説明会でのことでした。選手の中には、競技場のトラックに引かれているラインの破線が見えにくく、特に100m走の走路で実線と破線が交差するところでは、実線に沿って走ってしまい、別のレーンに入ってしまうことがあります。そのため、事前に選手と何度も試走しレースに臨みますが、それでもうまくいかないことがあります。説明会では、破線部分に白いテープを貼り、実線に見えるようにしてもらうよう申し入れました。しかし、「テープは貼るが、その選手の記録は参考記録となり全国大会には出場できない」との回答でした。
 納得がいかず、問い合わせると、これまでに前例がないことや他に問い合わせをした結果だとの回答でした。これに対して、テープを貼ることでその選手が他の選手より有利になるということは一切なく、視覚障がい者や聴覚障がい者と同様に個別の対応が必要であることなどを訴え、その後も訴え続けた結果、ようやく昨年の大会冊子の備考欄に「破線→白テープ」と記載され、正式記録となりました。
 二つの体験から4年ほどが経ち、法律も施行された今、障がいのある人たちに対する意識や状況はどれほど変わったでしょうか?「障害」は、その人の一部であり、その人のすべてではありません。そして、一人ひとりが望むことを妨げられたり、みんなと同じ権利を行使することを阻まれたりすることがあってはなりません。立ちはだかる「壁」を少しずつ取り払い、だれもがこの世に生まれ、生きている喜びを心から感じ合える社会をみんなでつくっていきましょう。
   

三木市人権・同和教育協議会 人権教育・啓発専門員 稲見臣二
   
   
   
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by oniwabann | 2018-03-29 08:55 | 人権 | Comments(0)
 教育事業は、被差別部落の子どもの学力保障や人権確立のために運営されてきましたが、長年その運営に関わってきた中で、印象深い出来事があります。
 十数年前のことです。教育事業で学ぶ小学6年生の2人が職員室に抗議をしに行きました。担当の教師はしっかりと対応してくれたのですが、本人たちが納得していないようだということで、私に相談がありました。
 中身は「私らが差別を受けるかもしれないから学習しないといけないと先生は言うけど、なんで私らだけが学習せなあかんの」ということでした。つまり、本当は差別するかもしれない人が学習するべきではないのかということです。そこで私は、この2人のためだけにクリスマスパーティーを開き、話をすることにしました。2人は「私ら、この部落を出ていったら差別を受けへんのと違うの?逃げたらいいんや」と言うのです。
 皆さんならどう答えるでしょうか。私は「それは間違っている」とは言わず「ごめんな。あんたらにそんな思いをさせているのは大人の責任や。あんたらがそうしたいならそうすればいい。でも、逃げても差別は追いかけてくるし、そんな生き方、嫌やと思わへんか?自分を育ててくれた故郷からなんで逃げないかんの?差別するほうが悪いんやろ」と言いました。この子らが大人になる頃には、差別がない世の中にできているだろうか、と自分に問いながら。
 そして今、心配していた事態が起きています。インターネット上での差別的な書き込みや部落の地名・人名リストを公表し、部落の中を撮影した動画を流す人たちがいます。それによってどれだけ多くの人が苦しめられるのかを顧みることなく。このサイトを利用して、結婚やつき合いで相手の人が部落の人かどうか、身元調査をする人がいます。それが差別だという認識もなく。
 「自分は差別なんてしないから関係ない」という声を聞くことがありますが、この感覚は差別を野放しにします。インターネット上で差別的な書き込みをしている人も「自分は差別なんてしていない」という感覚で書き込んでいるのです。つまり、何が差別かを分かろうとせず、その行為がどれだけ人を傷つけるのかを考えていないのです。
 その書き込みを見て「そうなのか」とうのみにしたり「自分には関係ない」と見過ごしたりするのではなく、人権という観点から、しっかりと批判できる力をつけることが大事です。このような差別書き込みに対して削除要請や抗議をしても効果がなく、むしろ反撃を受けるという事態も出てきました。この状況を打破しようと、一昨年12月「部落差別解消推進法」が施行されました。
 この法律は、「部落差別は許されない」と明記し「部落差別のない社会を実現する」ことを目的として成立しました。国や地方自治体に教育・啓発、相談、実態調査に取り組む責務があることを盛り込み、国民に理解を求めています。
 人権は誰かが与えてくれるものではない、と私は思います。「障害者差別解消法」「ヘイトスピーチ対策法」もそうですが、深く傷つけられたマイノリティが体を張って闘ってきたからこそ、人権尊重社会へと前進してきたのです。でも、人権課題の解決は、その人たちにまかせておけばいいわけではありません。むしろ、差別している人、差別するかもしれない人の問題ですから、みんなで考え、取り組む課題なのです。
 「なんで私らだけが…」―小さな声に耳をかたむけて、誰も排除せず、共に生きていく取組を、みんなで進めていきたいと思います。
   
   
   
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by oniwabann | 2018-02-28 09:32 | 人権 | Comments(0)

人を愛するコミュニケーション
 この言葉の背景には、自分たちが接する人たちは、すべて「お客さま」と同じという意味がある。常に相手の立場に立って、相手を思いやることで、相手も自分のことを理解してくれるようになる。
 これができれば「ありがとう」と心から思えるようになり、相手もそれを感じて「ありがとう」と思ってくれる。お互いに感謝の気持ちをもつことができれば、ホスピタリティ(思いやり)の心は通じたということだ。
 企業ではお客さまに嫌われれば売り上げは下がり、逆に喜ばれれば、口コミでお客さまが増えていく。会社の中も同じだ。仲間から慕われ、喜ばれることで仕事はうまくいき、「あいつはダメだ」と思われれば自分の仕事は何一つ成り立たない。
 部下や同僚など、自分が「接する人は、お客さま」と考えれば、セクシャル・ハラスメントやパワーハラスメント、いじめや差別など起きるはずがない。
 これは、企業だけではない。学校や病院、行政など、人と人が接する仕事にはどの組織でもこの気持ちが生かされると、組織の内外から高く評価されるようになる。
ノーと言わない行政、「すぐやる課」の設置
 お客さまの要望に応えることが最善のサービスになるというのは、行政も同じこと。市民をお客さまとして考え、市民の満足をめざして取り組んだ行政の活動を紹介したい。
 千葉県松戸市では、1969年(昭和44年)に市長が「すぐやる課」を設置して話題になった。なんと今からさかのぼること約半世紀も前に起きたことだ。その市長こそ、あのドラッグストア「マツモトキヨシ」の創始者、松本清氏(以後、松本)である。創業者の名前そのものが店名になったことでも有名な店だ。
 その昔、公務員は「休まず、遅れず、働かず」がよい職員と揶揄された時代があった。今でも夕方5時の定時にはきちっと窓口を閉めてしまうお役所が多いが、多くの会社では考えられないことである(働き方改革や、ワークライフバランスの精神からすれば、これが本当なのだが……)。
 ある窓口では市民が列をなして混雑しているのに、隣の窓口の担当者は「それは、私の仕事ではありません」という言葉そのものの対応だった。
 そうした状況に業を煮やしていた松本が、市民へのサービスとして「市役所は、市民に役立つ所、市民にとって役に立つ人がいる所」という考えのもとでつくったのが「すぐやる課」なのである。市役所としては日本初の「クイックレスポンス(素早い対応)」部門の誕生だ。
 この課の基本的なポリシーは、「何でも相談に乗る、ノーと言わないこと」だった。公務員には、公僕という言葉がある。公務員は市民に奉仕をすることが最大の仕事であり、義務であるという意味。彼らの給料は市民の税金から出ているという意識だ。
ホスピタリティ(おもてなし)にあふれる組織
 そう考えると、役所にとってサービスすべきは市民であり、決して自分の上司ではないはず。一般企業でいえば、市役所のお客さまは市民である。市民のニーズに応え、喜びをめざすことができれば、市民の満足につながり、素晴らしい市役所として市民から愛されることにもつながるだろう。すぐやる課の発想は、歴史は古いが、今でも十分に活用できるものである。
 「接する相手」をお客さまとするか、部下や仲間たちとするか、それとも市民(行政)、患者(病院)とするかなどなど、それぞれの仕事を思いながら考えてほしい。
 その先には、ホスピタリティにあふれる組織が待っている。
    

駿河台大学経済経営学部教授 水尾順一
   
   
   
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by oniwabann | 2018-01-30 09:41 | 人権 | Comments(0)
 障がいのある人の自立昨年初めて障がいのある人を支援している社会福祉法人を訪問する機会がありました。
 仕事を依頼する為、取引先から紹介を受けた時、『本当に大丈夫なのか?』という不安が頭をよぎりましたが、会社としてコストを抑える事ができ、社会貢献にもなるのなら、依頼してみようと安易に考えておりました。
 実際に訪問して施設長と担当者の方と作業内容について打ち合わせをしている時も私は間違いのない作業をしてくれるのか、コストがどの程度安くなるのかという事しか考えておりませんでした。
 すると見透かされたように担当者の方から「社会福祉施設だからといって働く事さえ出来れば単価はいくらでもいいという事ではないのです」
 「以前は働く事で社会に参加する事が目的だという考えもありましたが、私達はお金を少しでも多く彼らに払ってあげて、自分達が働いたお金で自立させてあげたいのです」と言われました。
 障がいのある人に対して、いかに自分が傲慢で、彼らの生活と立場に立って考えていないかという事を痛感させられました。
 障がいのある人のレベルに合わせてクラス分けをしている説明を受け、施設の中を見学させていただく事となりました。
 最初に見学させていただいたクラスでは複雑な機械の組み立てや、健常者でも危険だと思ってしまうような電動工具を使って「バリバリ」と音を立てて機械の解体作業している姿を見て、こんな作業まで出来る事に驚きました。
また違うクラスでは、マラソン大会で使うゼッケンから機械を使ってICタグの取り外しを真剣な表情で作業されている姿に、私が抱いていた不安はなくなりました。
 見学が終わると担当者の方が「今日は、この作業だけしかしておりませんが、彼らは色んな仕事ができますよ。健常者より、集中力が高いのです。仕事を始めると飽きずに黙々と作業をしますよ。忙しい時だけではなく定期的に新しい仕事をいただければ助かります。どんどん新しい仕事にチャレンジさせてあげたいのです」
 「作業については私が全て確認しますから安心してください」と言われた言葉に、努力とプロ意識を感じました。
 企業にとって仕事を依頼する限りは社会福祉施設だからといって作業の間違いを許されるわけではありません。一度信用を無くすと仕事の依頼が無くなる厳しさを理解されている事に、頭が下がる思いでした。
 今回の訪問で、大人になれば誰もが仕事をして、自分なりの生活を築いていく、ごく自然の事のようですが、障がいのある人達にとって地域生活をして行く上で、常に困難で厳しさが待ち受けている現実、それに対して彼らを厳しい社会から守るのではなく、自分の人生を切り開く「力を養う場所」でありたいという施設の方に触れる事ができ、自分の今までの考えを改める事ができました。
 障がいのある人に対して「出来るはずがない」と決めつけて厳しい社会に触れないように守るのではなく、小さな事でも良いから自分達ができる支援をしていく事で、ごく自然に働ける環境を作り、自立出来る社会にしていかなければならないと思いました。
   
志染中学校PTA 藤本欣也
   
    
    
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by oniwabann | 2017-12-15 09:31 | 人権 | Comments(0)
「死」を見つめ「生」と向き合う
 「復元納棺師」を知っていますか。それは、事情があって、生前のおもかげを失ってしまった故人をその人らしいいい顔に戻す納棺師のことです。私は、この「復元納棺師」として活躍している一人の女性をある一冊の本で知り、大きな衝撃を受けました。
 3月11日。あの日、東北は大きな地震と津波に襲われました。テレビで津波が次々と街を飲み込んでいくのを見て、言葉を失ったことは今でも覚えています。死者・行方不明者は、18, 446人でそのうち津波で亡くなった人は90%近くいました。小学校や中学校の体育館は、遺体の安置所として使われるようになりました。復元納棺師の笹原留似子さんは、そのとき岩手県で被災しました。笹原さんは、自分に何かできることはないかと遺体安置所へ向かいました。そこで笹原さんの行動を左右する出会いがありました。それは、死後変化が始まっている三歳くらいの女の子のなきがらでした。笹原さんはこの女の子をこの子らしいいい顔に戻してあげたいと思いましたが、それはできませんでした。法律で、身元不明者の遺体に触れることは禁止されていたからです。小さな小さな女の子を目の前にして、道具も技術もそろっているのに何もしてあげられないと思うと、笹原さんはどんなにつらかったのでしょうか。私がもし、そのとき笹原さんとそこにいたら、何もできない自分の無力さに耐えられないでしょう。「同じ後悔はしたくない、自分にできることを精一杯やろう」そう強く決心した笹原さんは、被災地で復元ボランティアを始めました。
 復元ボランティアで笹原さんは、1日に10~20人の復元を行うこともあったそうです。1日に10~20人の人の「死」と向き合うというのは、本当につらいと思います。きっと私なら、この苦しい現実から逃げ出してしまうにちがいありません。笹原さんはなぜ、復元ボランティアを続けられたのでしょうか。彼女はこう言っています。
 「死は本当に悲しいものです。私にできることはただ悲しみに寄り添わせていただくこと。残された人がその死を受け入れるため、少しでもお役に立ちたいと思ってやってきたのが復元でした。故人がどんな状態にあったとしても、生前と同じ表情、できるだけ微笑みをたたえたお顔にする。復元させていただいたのちご家族に対面していただくと、ようやく事実と向き合い、死を受け入れられることが多いのです」
 震災で多くの尊い命が失われました。大切な家族の「死」を受け入れにくい人が多くいました。そんなとき、笹原さんの復元によってやっと「死」を受け入れられた人も少なくなかったと思います。誰よりも強い想いで「死」と向き合い、遺族に寄り添う笹原さんは被災地で何を感じたのでしょうか。
 笹原さんから学んだことは、「死」を見つめることは「生」と向き合うことでもあるということです。大切な家族や友人を失うことは、つらくて、切ないことです。私はこれまでに一度だけ大切な人の「死」を経験しました。中学校に入学する少し前、大好きだった祖母がなくなりました。祖母の死は本当に悲しくて、これから自分はどういう生き方をしたらいいのか分からなくなりました。祖母のことを思い出しては悲しみの気持ちでいっぱいだったある日、祖父から電話がありました。祖母からの家族一人ひとりに向けた手紙が見つかったのです。そこには、「楽しい人生をありがとう。わたしがいなくなってもあんまり悲しまないで、元気に生きていってね」と書いてありました。亡くなった人とは、会いたい、話したいとどんなに強く思ってもそれはできません。私はこの祖母の手紙を読んで祖母に見てもらいたかった分の人生も一生懸命生きようと思えました。笹原さんの復元は祖母の手紙と同じように残された人が「死」を受け入れるきっかけになった一つだと思います。祖母はきっと、私のことをずっと見守ってくれていると私は信じています。そして私の心の中では、幼い時に一緒に遊んだ思い出と共に祖母は生きています。
 大切な人の「死」を受け入れることは簡単ではありませんが、残された人はその人の分も精一杯生きていかなければならないと思います。だからこそ、今生きていられることを当たり前だと思わず、命を大切にしたいです。
    
別所中学校 3年 森本怜奈
   
   
    
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by oniwabann | 2017-11-24 10:32 | 人権 | Comments(0)